実は体験しているかもしれない先の世界

いつか飛び級のように成功して富裕なリタイヤ生活を送ってみたいなんて夢見る人もいるのですが、実はすでにエッセンスを体感している可能性があるんです。

裕福で時間もあって自由であることが別世界のような夢の世界で幸福であるというのは幻想であるのかもしれません。

独房に入る刑が一つ重いように人は退屈や無音に耐え切れないものであるという事実により、山坂登りながら苦労して開拓して走り抜けている多忙な日々が本当は一番幸せだったという思い出のように語るのを聞いたことがあります。

部屋から一歩も出られないニートも自ら牢屋に入っているようなものだと思えます。現代は色々とツールもあるので外国の自由度の高い牢屋ともとれますが。。

そして、実は成功の先に楽園が広がっていると思っていた人々も頂上に昇りつめてみたら何もやることがなくなって金はあっても退屈だと感じてる人も多いというのです。

おそらく永遠でなくても一時的にその状態を一度や二度は体感した時期もあって苦痛なほどの退屈と時間が進まないような感覚がそれに当たります。

その感覚がすごく長く続くような状態にいる人がいるんです。恵まれたように見えて何も不自由のないように見える状態でも苦悩したりしていたりします。

喉が渇いて飲む水が美味しく、空腹の時間が長い時の食事が美味しく、トンネルを抜けた先の小さな達成に喜んだりと不足していて、どん底から這い上がっていくときに一段一段喜びを感じ、そして不幸だったほど小さな幸福を実感出来たりします。

つまり、毎日バイキング料理が出てくるような状態になったとしたら自らストイックに節制して落差や山や谷を作る工夫をすることが実は陰と陽のバランスを取る意味でも重要となってきますし、意図的に空腹を作ることはそこまで難しくないと思います。

そして役に立ったり関わる人の困りごとを一緒に解決していくのも、あんまり無いかもしれませんけど自分の事では退屈になってしまっても飽きることが出ない方法となると思います。

水が止ると腐るように退屈も同じ事だと思うので、いかにその循環を止めない工夫をしていくかが鍵だと思います。山坂を繰り返しながら上昇していく曲線を描ければ後から振り返ってすごく良い人生だったと思えると思います。

逆に腐って動きを止めて暇つぶしに刹那に生きてしまうと後悔してもしきれないという状況となるため、とにもかくにも動きを止めない工夫と落差を作り出し、毎回美味しいといえる感覚でいることが大事です。

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